月曜日, 6月 21, 2010

Beetle Queen Conquers Tokyo

日本人の昆虫好き: 米女性が称賛 → 映画「カブト東京」
2010年06月21日 07時41分15秒 |

昨日の朝日新聞に、「ひと 日本人の「昆虫愛」を映画にした ジェシカ・オーレックさん(25)」という記事がありました。

日本人が昆虫好きなことは、世界的にもユニークで、アメリカの昆虫好きな女性がそれを題材に映画を作ったのだそうです。

ジェシカ・オーレックさんは、アメリカのルイジアナ州やコロラド州で育ちました。

自然が豊かで、幼稚園へ入る前から、虫に親しみを感じていました。
でも、好きな昆虫やヘビの皮を見せると、友人や先生からは、イヤがられました。

「虫好きはアメリカではすごく肩身が狭いんです。だれも家で虫を飼わないし、デパートに売り場もありません。変わり者扱いをされるのが嫌で、中学生以降は昆虫趣味を隠しました」

2006年に、博物館の講座で、日本人は昆虫が好きだと教わります。
「大昔からトンボやチョウをめでた国。今でも昆虫をペットとして飼う」

そんな夢のような国が地球上にあったんだ!

2007年には、にわか仕込みの日本の知識と大学で習った撮影術を携えて、日本を初めて訪れます。
2カ月間で、日光、東京、静岡、大阪、京都、たつの(兵庫)に行きました。

一般の人が、スズムシとキリギリスの羽音(鳴き声)の違いを識別でき、ホタルを悲愛の象徴と見る文学性に興奮を感じました。

フェラーリに乗る昆虫業者に頼みこみ、昆虫採集に同行させてもらう機会もありました。

なぜ日本で、これほど虫が愛されるのか。

古事記や源氏物語まで遡って調べて得た結論は、「もののあはれ」でした。
「日本の人々は、虫のはかない命に美を感じます。アメリカ人に、その文化はありません」

日本人の昆虫好き文化を知ってもらおうと、映画「カブト東京」を初監督で制作し、現在、アメリカで公開中です。

日本でも、上映できたらと考えているということです。

(引用元:http://blog.goo.ne.jp/mocha40/e/baa93b706ce548e6d81a1da81e955ccd)






この映画、原題は「beetle queen conquers tokyo」(米国版虫愛でる姫、東京を征く)というものらしい。
それがなぜ「カブト東京」になるのかはいささか解せない気もするが、まあどうでもいい。

ともかくアメリカの姉ちゃんが日本の虫愛でる文化を映画にした。
しかも決してマクドナルド系アメリカン・デブではない、けっこう綺麗な面立ちの妙齢女性である。

こんなのらしい。

























本来の仏教哲学をさらに推し進めた、日本仏教独自の思想として「山川草木悉皆成仏」という考えがある。

虫けらや草木、はては石ころにいたるまで、目に映る全ては、自身の心の象そのものとしてある。

すなわちそれらは自分の心の本質=仏性と異なるものではない。

ただ観る者(主体)と観られるもの(客体)という、仮構された関係性の中で相対的にあるに過ぎない。

観る者がないとき、観られるものはない。(私の心がないとき、虫もまたない)
観られるものがないとき、観る者もない。(虫がないとき、私の心もない)

両者は共に縁起している関係にあり、すなわち空である。

それゆえ私の心と、虫けらや石ころには、本質的な差別はない。

虫けらや石ころは、すなわち私の心、その形、象としてのみある。

そして逆に、虫けらや石ころの心とは、私の姿かたち、その象としてこそあるはずである。

すなわち私が虫けらや石ころに抱く心のまま、同様にその虫けらや石ころも私を想っている。

そこにまで理解が及ぶとき、すでに観る者と観られるものの対立は超克され
両者は互いを分別する必要を失い
永遠の沈黙、涅槃寂静に至る。


まあ空海に代わって小難しい理屈の説明をすれば、そういうことになる。

日本人はそれを直感的に悟っている民族なので、虫を愛でるのである。
それは仏教の要旨と全く一致する。
矛盾はない。

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