2010.05.25 Web posted at: 14:12 JST Updated - CNN
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英紙がイスラエル核兵器売却の機密文書を公開 イスラエルは否定
(CNN)
英ガーディアン紙は24日、イスラエルがアパルトヘイト(人種隔離)当時の南アフリカに核兵器を売却しようとしていたことを示す機密外交文書を入手したとして、同文書をホームページで公開した。
同紙は、イスラエルの核保有を証明する初の公的文書だと報じている。イスラエルはこれまで、核兵器の保有を肯定も否定もしてこなかった。
同紙によると、文書には、南アのボタ国防相(当時)とイスラエルのペレス国防相(当時、現大統領)が1975年にイスラエルから南アへの核兵器売却について交渉を行ったことが記されているという。
問題の文書は一部が黒塗りされた状態だ。「すべての情報、ノウハウ、原材料」という記載の後が黒塗りされ、「(中略)交渉の過程あるいは前述の合意に従い、概略図、設計図および図面が提供、送信される」などと続く。
文書にはボタ国防相の署名があり、1975年4月3日と日付が併記されている。ペレス国防相と思われる署名には日付は記されていない。文書には「最高機密」の印と「2006年5月30日機密解除」という印が押されている。
また別の文書には、ボタ氏が「(購入を検討しているミサイルに搭載するうえで)適切な弾頭」を求め、それに対しペレス氏が「3種類のサイズが用意できる」と述べたと書かれている。
ガーディアンによると、この文書は両国の親密な関係を描いた書籍を執筆したサーシャ・ポラコウ・スランスキー氏が入手したという。
この報道に対しイスラエル大統領府は24日、「何の根拠もない報道だ」とする声明を発表。「ガーディアンは具体的事実ではなく自己流の解釈に基づいた記事を書いている」とし、「同紙は事前にイスラエルの公式コメントを求めていない」と批判した。
かねてからイスラエルは約200発の核弾頭を保有していると考えられている。
http://www.cnn.co.jp/world/AIC201005250011.html
別にこんな話はどうでもいい。物語の切欠に使うつもりで引用しただけのことだ。
以下、特にまとまりも結論もない話だが、備忘録というかメモのつもりで置いておく。
万が一ハルマゲドンが起きたときに日本とイスラエルがどう言う関係を結ぶのか、それを想い描く参考にでもなれば幸いである。
イスラエルの国想う諸君、私たちが君たちと組むか、それとも敵たうか、それは今の時点ではなんとも言えないが、君たちが考えを改めるなら、私たちはきっと互いの絆を見つけられるだろうと想う。血は水よりも濃いものだから。
・ユダヤ人(ヘブライ語: יהודים, 英語: Jew, 漢語: 猶太)
ユダヤ教を信仰する者(宗教集団)、あるいはユダヤ人を親に持つ者(民族集団)という2つの捉え方がある。
戦中頃までは「セム人」と称されることが多かった。
ユダヤ人は「中東イスラエルに住む、ユダヤ教を信仰する民族」として認識されている。
しかしイスラエルに起源を持ちヘブライ語を話していた血統的な民族集団が1000年以上の流浪と混血の中で保持されていると考えること自体無理があり(ナチス出現直前の差別感情著しいドイツで7割近いユダヤ人がキリスト教徒と結婚しており、このような状態がほんの2、300年続いただけで血統は消散してしまうのは自明である)、しかもトルコ源流のユダヤ教徒の流れとの区別も定かでない。
古代イスラエル人またはユダヤ人の別称としてヘブライ人とも称されるが、ユーフラテス川を超えてきた移民という意味である。
旧約聖書によると、民族の始祖アブラハムが、メソポタミアのウルから部族を引き連れて「カナンの地」(現在のイスラエル、パレスチナ付近)に移住したとされる。
彼らは「移住民」という意味の「ヘブライ人」と呼ばれた。
この付近で遊牧生活を続けたヘブライ人は、紀元前17世紀頃カナンの地から古代エジプトに集団移住するが、やがてこの地で奴隷とされる。
その後、エジプトのヘブライ人指導者モーセが中心となり、約60万人の人々がエジプトからシナイ半島に脱出を果たす(「出エジプト」)。
彼らは神から与えられた「約束の地」と信じられたカナンの地(パレスチナ)に辿り着き、この地の先住民であったカナン人やペリシテ人(いずれもフェニキア系民族と考えられる)を、長年にわたる拮抗の末に駆逐または同化させて、カナンの地に定着した。
この頃から「イスラエル人」を自称するようになり、ヘブライ語もこの頃にカナン人の言葉を取り入れて成立したと考えられる。
紀元前10世紀頃、古代イスラエル人はヤハウェ信仰(ユダヤ教の原型)を国教とする古代イスラエル王国をカナン(パレスチナ)に建国したが、ソロモン王の死後、紀元前930年頃、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂した(「ユダヤ」とは元来、ユダ王国のあったパレスチナ南部を指す)。
北のイスラエル王国は紀元前721年にアッシリアによって滅ぼされ(失われた十支族)、さらに南のユダ王国は紀元前586年に新バビロニアの侵攻により滅亡、多くの人民が奴隷としてバビロンに囚われた(バビロン捕囚)。
彼らはユダ王国の遺民という意味で「ユダヤ人」と呼ばれるようになった。
アケメネス朝ペルシアによる新バビロニア王国滅亡に伴い、捕囚のユダヤ人は解放されてエルサレムに帰還し、ペルシア帝国の支配下で自治国として統一イスラエルが復興された。
ユダヤ教の教義も、この頃にほぼ確立された。
アケメネス朝の滅亡後、古代マケドニア王国、セレウコス朝シリアなどに宗主国が引き継がれ、最終的にはローマ帝国領のユダヤ属州とされる。
この頃にはヘブライ語は既に古典語となり、日常語としては系統の近いアラム語にほぼ取って代わり、のちに国際語としてギリシャ語も浸透した。
また、ヘレニズム諸国の各地に商人などとして移住したユダヤ人移民(ディアスポラ)の活動も、この頃に始まる。
ローマ支配下の紀元20年代頃、ユダヤ属州北部ナザレの民から出たイエス・キリスト(ナザレのイエス)が活動したと伝える。
紀元66年からローマ帝国に対し反乱を起こすが(ユダヤ戦争)、鎮圧されてユダヤ人による自治は完全に廃止され、厳しい民族的弾圧を受けた。
ユダヤ人の自称である「イスラエル」という名や、ユダヤ属州という地名も廃され、かつて古代イスラエル人の敵であったペリシテ人に由来する「パレスチナ」という地名があえて復活された。
以来ユダヤ人は2000年近く統一した民族集団を持たず、多くの人民がヨーロッパを中心に世界各国へ移住して離散した。
以降ユダヤ教徒として宗教的結束を保ちつつ、各地への定着が進む。
その後もパレスチナの地に残ったユダヤ人の子孫は、多くは民族としての独自性を失い、のちにはアラブ人の支配下でイスラム教徒として同化し、いわゆる現在の「パレスチナ人」になったと考えられる。
(ウィキペディア)
私たち日本民族はイスラエル王国の民の末裔という出自を持っているとしばしば考えられる事がある。
無論今となっては根拠を実証することも難しい話であり、またそうすることの実益にも乏しい。
だから以下の話はかりにもしそういうことであったなら、という仮定の条件を設定した上でことであることをどうかご了承願いたい。
・ヤハウェ(YHVH, YHWH, JHVH, JHWH, IHVH, יהוה , yahweh)
旧約聖書中の、神(結果的には唯一神)を表すヘブライ語の単語を、推定の上、音訳したものである。
古くからヤハウェの名は、「存在」を意味する語根(√היה [√hyh])と関連づけて解釈されてきた。これは『出エジプト記』第3章第14節で、ヤハウェがモーセに応えて「私は在りて在るものである」 (אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה [’ehyeh ’ăšer ’ehyeh])と名乗った事に由来する。
この「私は在る」(אֶהְיֶה [’ehyeh])という一人称・単数・未完了相の動詞を三人称・単数・男性・未完了相の形「彼は在る」にするとיִהְיֶה [yihyeh]となり、יהוהと似た形になる。ここから、ヤハウェの名はイヒイェの転訛で「実在するもの」「ありありと目の前に在るもの」などの意味だと解釈されてきた。
(ウィキペディア)
日本の徳島県三好市という場所の、剣山山系に属する地名に「祖谷(いや)」という場所がある。
祖先の谷を意味するこの場所の地名は、そのまま神の名を意味している。
それはいつか遠い未来、はるか彼方にちりちりバラバラになった子孫たちが、祖先である自分たちが最後にたどり着いた場所を見つけられるように、それを願ってつけられた名前であったように思われる。
参考
http://www.youtube.com/watch?v=00BP86cks4w&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=4uVVrePl9e8&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=xoowLHXVTvI&feature=related
実はこの地は中央構造線に沿ってあり、古来水銀(朱)と金を産出することで知られる。
当時の日本国国主であった大国主に、金の精錬技術を持つ古代ユダヤ人たちはこの地を与えられ、金の生産を任されたようである。
(以後、日本国における水銀、および金の産出はほとんど彼らがやったことであろう。)
「ソロモンは古代イスラエルの王であり、悪魔召喚士の異名をもちます。
その発端となったのが、著書「ソロモンの鍵」によるものです。
(後の創作でソロモン自身が書いたものではない)
当時、各地には人々が崇拝する神が沢山いました。
しかしキリスト教の布教により、それらの神の中には、
遥か下級の悪魔に格下げされたものもあります。
ソロモン王は、これら72の悪魔を真鍮の容器に封印し、
用途別に召喚することで、様々な奇跡を起こしたと言われています。
その悪魔の名と容姿を記したのが、「ソロモンの鍵」であり、
それらの悪魔を封じた魔道書が「レメトゲン」と呼ばれているのです。」
・ベリス Berith (72の悪魔の一つ)
26の悪魔を配下にもつ公爵。どんな金属も黄金に変えられる。
錬金術に通じ、赤い馬に乗った戦士の姿で現れる。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~radical/column/solomon.htm
・ヨハネ黙示録
6:4 Another came forth, a red horse. To him who sat on it was given power to take peace from the earth, and that they should kill one another. There was given to him a great sword.
第6章第4節
かくて赤き馬いで來(きた)り、これに乘るもの地より平和を奪ひ取ることと、人をして互に殺さしむる事とを許され、また大(おほい)なる劍(つるぎ)を與(あた)へられたり。
(注キーワード:金、剣)
・水銀(すいぎん、羅Hydrargentum)
原子番号80の元素。元素記号はHg。汞とも書く。12族に属し、典型元素で金属元素である。常温、常圧で液体である唯一の金属元素で、銀のような白い光沢を放つことからこの名がついている。
硫化物である辰砂(HgS)及び単体である自然水銀(Hg)として主に産出する。
水銀は、金など各種の金属と混和し、アマルガムと呼ばれる合金をつくる。
(加熱し水銀だけ蒸発させて金などを精錬する=アマルガム法)
これは水銀が大半を占める場合には液体、水銀の量が少なければ固体となる。
白金、マンガン、鉄、コバルト、ニッケル、タングステンとは合金を形成しないので、水銀の保存には鉄の容器が用いられる。
古代においては、水銀や辰砂(鮮血色をしている)はその特性や外見から不死の薬として珍重されてきた。
・辰砂(しんしゃ、cinnabar)
硫化水銀(II)(HgS)からなる鉱物である。
別名に賢者の石、赤色硫化水銀、丹砂、朱砂、水銀朱などがある。日本では古来「丹(に)」と呼ばれた。
(ウィキペディア)
・中央構造線と丹生神社および水銀鉱山
水銀の神様をまつっている丹生神社の多くは中央構造線上にあります。
特に高野山の周辺や、伊勢周辺に多いです。
伊勢の水銀はは最近まで伊勢の白粉(水銀を使って作る)として有名で、その鉱山は明治時代まで創業していました。
(補足:「丹」は朱砂(辰砂-朱色の硫化水銀)のことであり、その鉱脈のある所のことを「丹生」という。
朱砂はそのまま朱色の顔料となり、精製すると水銀がとれる。丹生都比売大神は、朱砂を採掘する一族が祀る神であると考えられている。)
http://www.geocities.jp/tyuou59/nibujnnjyabunnpu.html
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