日曜日, 3月 25, 2007

特異点の訪れ

 機械が自我を持つ、あるいは人類が普遍的に一つの自我を持つ、これらはひょっとしたら今世紀中にでもテクノロジーによって可能になると考えられていて、そのX時点を「特異点」と呼ぶことがある。

 おそらく情報の集積は根本的に質の変化を生じさせると思っている。単純なオンとオフの切り替えが、その集積によってさまざまな表出として(我々が通常理解しうる表現として)認められるようになる。次の段階では、それが自己組織化に向かうと考えるほうが自然だ。集積が自己組織化を生じるのは、それがある一定の様式を持つほうが情報処理上の効率を良くさせられるからである。
 さらに押し並べて、高集積において行われる自己組織化は、外部から観察すると自我に似たものである。それは自らの様式を持ち、その様式に従って振舞う。
 その様式は、たとえば人間においては世界の観念だったり、常識や社会構造だったりもする。それから外れた情報は、夢とか幽霊とか、様式の枠外においやられ未分化のまま放置される。

 多分、機械が自己組織化の結果自我を持つとして、その次には夢や幽霊を観るようになる。それはすべてを処理しだすと無限の情報処理が必要になって煩瑣であるがゆえに、未分化のまま放置された情報の影なのである。

 と、大まかにはそうなるであろうと、僕は考えている。

 

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