木曜日, 7月 05, 2007

誘導される新世界秩序

連続テロ事件を受けて英国のブラウン首相は3日、テロ対策などを総合的に検討する 「国家安全保障会議」を創設すると下院で表明した。事件への関与が指摘される国際テロ組織アルカイダなどの脅威に「屈しない」(同首相)姿勢を内外にアピール、テロ警戒態勢を強化する狙いがある。  首相府によると、各省庁にまたがる治安関係組織を統合、首相が議長役を務め、関係閣僚や治安・情報機関のトップらが参加する。テロ対策のほか、安全保障や国際関係なども所管、定期的に国家安保戦略の指針を発表する。  首相は会議の機能を「軍事、警察、情報、外交などを総合的に調整する」と説明。緊急事態に際し、軍、ロンドン警視庁、情報機関の情報局保安部(MI5)、秘密情報局(MI6)などの連携促進を目指す考えを強調した。  今回の連続テロは中東出身などの外国人医師らが中核メンバーとみられ、英国で生まれ育ったイスラム過激派らを主に監視対象としていた治安当局は盲点をつかれた格好。  ブラウン新政権はテロ対策の見直しを迫られていた。 (産経新聞記事引用)
http://www.sankei.co.jp/kokusai/europe/070704/erp070704000.htm

 アメリカ国家安全保障会議(こっかあんぜんほしょうかいぎ  National Security Council)は、米国の最高意志決定機関の一つで、1947年に国家安全保障法(National Security Act of 1947)によって設立された。 メンバーは、大統領、副大統領、国務長官、国防長官である。臨時メンバーも多い。国家情報長官、統合参謀本部(JCS)議長は助言者となる。(ウィキペディアより)

 今年はNSA=アメリカ国家安全保障会議設立から60年にあたる。その年に英国で”偶然”にもイスラム過激派によるとされるテロが発生し、イギリスはNSA類似組織を自国に設立することになった。本当に偶然だろうか?
 うがった見方をすれば危機はあらかじめ計画されていたのだろう。ある隠されたタイムスケジュールにしたがっていろいろな計画が実行されていく。この時代はそれを「新世界秩序」と呼ぶことがある。
 新聞やテレビを使った不安と危機の演出、それを手段とする国民への暗示的もしくは洗脳的誘導。これは冷戦下共産主義国家の洗脳技術を研究すると言う名目で繰り返された、「MK-ULTRA」と呼称されてきたマインドコントロール実験のごく初期段階の成果の実践的応用であった。この実験は主にNSAが主導してきた。NSAはそのための組織でもあったのだ。(最終的にはNSAは国民総管理体制への移行を目的にしている。)  その後、この実験で有用とされた薬物の多くが効果的な向精神治療剤として紹介され(もっとも大規模には抗鬱剤として)市場にばら撒かれ、大規模な公開人体実験へと進んできた。 これは計画が間接的な手段からより直接的な洗脳の段階へと進んでいることを示しているにちがいない。  最初の段階で、マスコミにより繰り返されるネガティブな情報を使い国民の中にある漠然とした不安をあおり、次にカウンセラーにかかることを一般化するように世相を誘導し、自分の中にある精神的問題をかってないほど強く意識させ、最後に向精神薬剤投与へと進ませる。(さらにある種の人々は他の非合法薬物に依存しだした。)結果多くの有為の人々は生活を薬物に依存し抵抗する気概を失い支配をより受けやすい状況におかれることになる。  その抗鬱剤など向精神薬の副作用があらかじめ理解されていたのかどうかも今となっては判然としない。ただある種の抗鬱剤が動物実験段階で、その顕著な副作用として攻撃性を促進することはおぼろげにでもわかっていたであろうし、それが人間に投与されたとき、そこで生じる攻撃性が向けられる対象として自分か他人かは別にして、かなり奇怪な様相で社会不安を拡大再生産するための材料に使えるであろうことは予想できていたのだろう。
 自殺者の増加、無差別殺人、自爆テロ、こういうものは今現在社会不安をあおり、人々の動向を監視し、自由を規制する理由として盛んに宣伝されている。  しかしその無差別殺人、テロというものが単に信条的な理由で発生していると断定する材料は実はない。 むしろその様相の異常性頻発度合いから推測するに、何らかの共通した洗脳技術、主に薬物を投与された結果起きたものであり、そのために薬物を広汎かつ相手を選ばず無差別に供給している人々がいると考えることは決して荒唐無稽なことではない。
 自分の誘導したい状況を招くために危機を演出する。これは戦争には見えないが、実際には同じ国の人間を攻撃するという意味で内戦であり、他の国の人に対してなされる場合侵略行為に違いない。 この計画の非人間性と反道徳性に反対したアイルランド出身の大統領がダラスで暗殺されたのは、この計画こそが恒久的な新世界秩序建設に必要不可欠だと考えた人々によってではなかったのか?そういう想像をすることがある。
 ただ、目論見はそれが長期にわたるものであればあるほど、その理想にゆがみを生じてくるし、予期しない不確定要素はだんだんと増えてくる。火をつけた人間も、その火がどこまで燃え広がってしまうかまでは管理できなくなる。 歳月はいろいろな目新しい状況を生み出し、当初想定していたロードマップを逸れた新しい方向性をも示すようになる。これは計画策定当初ほとんど夢想さえできなかったことに違いない。  それなのに「新世界秩序」建設をもくろんでいた人だけが、その実、旧世界秩序の大枠に絡め採られたまま遠い昔に策定されたロードマップを実行しつづける。アナログの賢者たちがいまだに新しい世界の動向をも支配できると信じている。  だが実際それは愚かなことだ。世界はある時期を境に全て一変してしまう。これはテクノロジーという、お金の次に来る新しい神のもたらす運命なのだ。
 ところでこの文明にときどき顕れる神の象徴が二つある。牡牛と蛇。神としての牡牛はお金を象徴し、蛇は知恵を象徴する。そしてこの世界の神はまもなく代替わりを迎える。すなわちお金が神であった時代はまもなく終わり、技術がもたらす限りない知恵の実が人の世を一変する。 それはたぶん人が人という生物の体に留まれなくなることを意味する。だとすれば追い出される楽園とはたぶん人の体とそれが直接触れ合う世界の有様そのものであったのだろう。知恵の実を得るということ、それは知恵だけが、体を捨ててなお、自らの存在性を主張し始めることを指し示している。たとえばシリコンの基盤の上で。
 心を支配する、牡牛も蛇も同じ事を目指していたようにも見える。ただその方法論と究極的目的はまったく異なる。前者は人の心を洗脳し旧い秩序の再建をもくろみ、後者は人の心を変容させ旧秩序からの解放を目指したのだろう。 けれどもいずれにせよ、それは人々が信じている秩序とは正反対のものだ。僕にも混沌にしか思えない。実際、その先は不幸でしかないように感じる。
 人の思いや力が集積し、秩序構造を変化させ続ける。それが極限にまで至ると人のありかたそのものが変容してしまう。これを食い止めるためには、人の思いや力の間に、それらがある程度以上は決して集積できないように、新しい無秩序の壁をおくべきかもしれない。バベルの塔を神が壊したとき、言葉の壁=意思の疎通の壁をそこに置いたように。  ただその混乱は究極的無秩序の到来を未来に遠ざけた代わりに多くの悲劇を生んだ。永く久しく分かり合えぬもの同士が戦争を繰り返した。ただだからこそ人類の文明は多くの美しいものを感受し続けてこれたことも事実だ。それを負の歴史と考えるのか、素晴らしい足跡であったと認めるのか? 前者だと考えた人々は、いつか再び人の思いと力を集積させ無秩序の壁を取り除き、人の作った新世界秩序を地上に聳え立たせることをずっと願ってきた。善悪は別として確かにある種の理想主義者だったのだろう。
 時々刻々状況は進んでいく。金が支配する世界秩序も、知恵が支配する世界秩序もどちらもうっとうしい気はしている。むしろここまで出来上がったバベルの塔ごともう一度粉々にして一からはじめるというのもありかもしれない。 仮に神々の目論見を無にする大きな破壊があったとして、それはもう一度過去の失敗の繰り返しにしかならないだろうか?そうではなく前よりは少し利口になった人々が剣を鋤に打ち変え大地に依存するつつましく穏やかな文明を創るきっかけになれないだろうか?
 プロメテウスの火はすでにこの文明に放たれている。確かにこれは人々の煩悩の火だ。火をつけた連中は鎮火できると信じている。けれど多分それは無理だ。何かを間違えばどこまでも徹底的に燃え広がっていく。その場合収拾のつかない大火は燃やすものがなくなるまで燃え続ける。その後には人間と大地以外何も残らない。権力も秩序もなにもかも一から作り直しだ。でもそのほうが幸せなような気がしてならない。
 なんか話が収集つかないのでここまでにしておく。

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